先日八百屋へ買い物に出かけたところ、少し傷み始めているという理由から大量の小松菜を値引きして売ってもらいました。

しかしいざ買って帰ってみると、こんなに大量の小松菜を入れるスペースは冷蔵室にも冷凍庫にも無い。さて、どうしよう…汗
そこで思い出しました。干してしまえばいいんだと。

しかし、ここでさらにあることを思い出しました。
それは、干している途中も保存術であるということ。つまり、干し終わらなくても食べていいんだと。
そもそもぼくが干し活を始めたのは、稲垣えみ子さんの「寂しい生活」を読んだことがきっかけです。
著書の中で稲垣さんは、冷蔵庫といった家電を持っていない。だから、食べきれない野菜は日干しにして傷まないようにし、翌日食べるということをしています。干すこと自体が、冷蔵庫に入れて食品を長持ちさせることと同じ保存術であると紹介していました。
これを読んで、まずは干すということを始めてみようと思い立ち、色々なものを干してきました。しかし、干す中で肝心のことを忘れてしまっていました。
それが、干し終える前でも食べていいという事。干物として完全に乾いた状態にならなくても、干しているという途中で食べていいんだということでした。干しネットは干物を作るための道具としてだけでなく、それ自体も保存器具でした。
大量に買った小松菜は、干しネットに入れた後少しずつ味噌汁の具材として食べていきました。しかし、今日から徐々に天気が悪くなり、湿度が高くなってカビが生えるリスクが高まるので、一旦取り込みました。

色々なものを干して楽しんでいましたが、そうしているうちにすっかり干し活を始めた理由を忘れていました。
完全に干せた状態でないと食べてはいけない…そんな思い込みが勝手に生まれてきていたようです。そんなことはないし、誰かに言われたわけでもない。なのにそう思い込んでしまっていたのですから、思い込みとは他人に植え付けられるだけでなく、自分で作り上げることもある。
そのことを痛感しました。
それではまた。
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