肌寒い季節。
そうなるとどうしても温かいものが恋しくなる。特に出番が増えるのがお湯。
冷たい水を沸かし、熱いお湯へと変える、その作業が増えてくる。
しかし、そんなお湯を前にふと思った。
「お湯とは、必ずしも沸かさなくてもいいのでは?」と。
きっかけは、電気ポッドを手放し、鍋で沸かすようになってから。
電気ポッドなら沸いた時点で電源が切れるが、鍋はそうはいかない。
放置していると、沸いているのにいつまでも加熱し続け、無駄になってしまう。
だから、沸く瞬間には鍋の前で陣取り、沸いた瞬間に火を止めるようにしている。
ボコボコとしてきたら、火を止める。
しかし、そこに少しのメンドクサガリともったいないの精神が混ざり、あることを囁いてくる。
「湧かなくてもいいのでは?」と。
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例えば白湯。
せっかく沸かしても、結局飲める温度まで冷えるのを待つしかない。
だったら、最初から飲める温度で止めてしまえばいいんじゃないか。
例えば湯たんぽ。
必ずしも沸騰したお湯…つまり100℃のお湯でないといけない理由はない。
要は布団が温まりさえすればいいのだから。
そう考えると、これまできっちり沸騰させてきたことが、なんだかもったいない行為だったように思えてしまう。
その100℃に意味はあったのか?
70℃や80℃でもよかったんじゃないか?
電気ポッドを捨てたことで、当たり前だと思っていたお湯を見直すいい機会になった。
捨てることで、また新たな気付きを得ることができた。
それではまた。
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