ミニマリストとして、テレビは持っていない。
ニュースサイトは見ない。
ニュースアプリはインストールしない。
ニュース動画はブロックする。
そうやって、悪いニュースを見ないようにしていると、だんだんと心が穏やかになってきた。
ニュースをよく見ていた頃は、心は荒れていた。
ニュースを見るたびに、この世はまるで地獄のような危険極まりない世界のように思えていた。
周りの人間がのんきにしているのを見ると、いつ自分が刺されるかを考えていない愚か者だとみていた。
違った。愚か者は自分だった。
悪いニュースを見て、凶悪事件を知れば知るほど、危険なこの世界から自分を守らなければならないと思っていた。
そうなれば、自分の周囲が自分を脅かす存在に思えてくる。そして、だんだんと攻撃的になっていった。
他人を攻撃・非難する。それは自分を守るため。
そう考えると、現代が他人に対し不寛容で批判的なのは、悪いニュースを知りすぎているからではないかと思う。
逆にそういった情報を一切受け取らないとどうなるか。
知らなければ、この世界は平和だ。
事件が無いというわけではない。だけど、見ず知らずの他人を犯罪者予備軍に思い込むようなことはない。
自分を守ろうと心を荒立て、鎧をまとうことも無い。
心には余裕が生まれ、他人を思いやる気持ちが生まれてくる。
「この人のために、自分は何ができるだろうか?」と考える事が出来る。
インターネットによって、国内だけでなく世界の情報を受け取れるようになった。
結果、受け取ろうと思えば毎日でも凶悪事件のニュースを見ることができる。
アメリカ、中国、ロシア、インド、アフリカ、ヨーロッパ…どこかしらで事件は起きている。その情報を受け取る必要はあるのか。
ぼくは必要ないと考える。
知ることで、自分はどんな行動をとるのか。それを考えれば、知らないほうがいい。
知って他人に不寛容になるのなら、知らずに寛容なままでいい。
だから今日もぼくは、ニュースをブロックする。
それではまた。
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