ミニマリストになって1年が経過しました。
初めて知ったミニマリストはしぶさんでした。
それからの自分の身の回りの変化は我ながらすさまじいものがありました。
この記事では1年の間に起きた変化を紹介していきます。。
物が減った
ミニマリストと言えば、モノを減らすの代名詞。例にもれず、我が部屋もかなり物が減りました。
ミニマリストになる前の部屋↓
今こうして見返すと、すさまじいまでの汚部屋。
そして現在↓
比べ物にならないくらいに減りました。
というか、この期間中に引っ越ししたので、その際に大分物を減らしています。それでも、引っ越してからも要不要の見方で、モノを減らし続けました。その結果が、今の部屋です。
ぼくが手放したもののリストは↓の通り。
- カーペット
- 座椅子
- クッション
- 長座布団
- ハンガー
- トレーニングマット(サイズが大きすぎたため買い替えた)
- 収納ケース
- こたつ
- ストーブ
- テーブル
- 紙の本
- 洗濯かご(折り畳み式に買い替え)
- 文房具(カラーペン、シャープペン全て手放し。万年筆、はさみのみ)
- インテリア小物
- 買い置き(コーヒー、ガムボトル)
- 木製引き出し
- 水筒(折り畳み式に買い替え)
- 服(オシャレ着として買ったもの全て手放し)
- デスクトップパソコン(ノートパソコンに買い替え)
大雑把なモノでこれだけある。これだけ減らしたのに、生活は困るどころかむしろ快適になったのだから、どれだけ無駄に物があったのか、恐ろしくもあります。
ここからは、モノを減らしたことで変わった、モノ以外の変化について紹介します。
物のための行動が減る
部屋から物が減ったことで、その物のための行動が減りました。
その物のための行動の最たるものは、どかす行動です。物を取り出すにしても、探すにしても、掃除をするにしても、とにかくどかさなくてはならなかった。
あの床のありさまでは、掃除機一回かけるだけでも10分ほどの時間は取られる。しかもその半分は、掃除するスペースを作るためだったり、掃除機のルートを確保するためなのだから笑えない。しょっちゅうコードがどこかに引っ掛かっていたのを覚えています。
そのどかす行動が極端に減りました。
ロボット掃除機『ブラーバ』が導入できた
今の部屋では、床に敷いている座布団兼ヨガマットを片付けるだけで掃除開始できる。ブラーバだって走らせられる。
ブラーバとは、ロボット掃除機のこと。
以前の汚部屋ではブラーバを走らせることなど夢のまた夢とすら思っていたが、今の部屋ならそれが可能になった。
今では毎朝ブラーバを起動させて出勤している。そのためのセットにかかる時間は、ヨガマットを折りたたんでマットレスの上に置くだけ。あとはスイッチを押すだけだ。
今では、家に帰ると掃除された状態の部屋が出迎えてくれる。疲れて帰ってきた部屋がきれいなことほど嬉しいことはない。
掃除がしたくなる
前述したように、毎日ブラーバによる掃除を欠かさないが、それ以外まったく掃除していないわけではありません。
ブラーバだけでは掃除しきれない隅のほこりなんかを、定期的に箒で掃除しています。フローリングの床をウェットモップで磨き上げる。綺麗好きになったのかというと、ちょっと違う気がします。
綺麗にしたいのではなく、あるべき姿に戻したいという表現のほうがしっくりきます。
以前の汚部屋では、掃除するにはあれこれ動かす必要があり、どうしても掃除自体が億劫になり、掃除の頻度は月に一度が精々。今では一週間に一度、しかも拭き掃除までで10分で終わります。
要らない物を手放し、部屋を整頓し、理想の姿にした部屋。その姿を維持したいがために掃除したくなる。
変化に気付く
よく気づくと自覚したのは、床に落ちてる髪の毛でした。それからは、会社にいても地面に落ちているゴミ屑によく気付くようになりました。
別に、地面を観察して歩いているわけではないです。むしろ視線はこれまでより上げているくらい。なのに、そういったものがよく目に付くようになっています。
他にも、周囲の変化によく気付くようになりました。この記事を書いている4月といえば、桜の開花時期だ。その桜が良く目に付くようになっています。
「こんなところにも桜があったのか!」ということが、ここ最近非常に多くなりました。去年も何日も通った通勤路なのに、今更ここに桜があったことに気付くほどに、変化に敏感になっています。
時間が出来る
モノに取られていた時間が減ったので、自然と時間が余るようになっていきました。
モノを減らしたことでやらない事が増えたというのもあります。以下はやらなくなったことで時間を増やしたリストである。
- 服選び
- 無駄な動画視聴
- 大がかりな掃除
服選びは、ただ服を減らしたわけではなく、着ていたいと思えるものだけを厳選することで常に一番いい服を着るようになりました。今のぼくの服装は、全くバリエーションが無く、常に同じ格好。なにせ、全く同じ服が複数あります。
なので、服については前よりも圧倒的に最初の購入に時間をかけるようになった。デザインはもちろん着心地、バランスを考慮し、少しでも違和感があれば買わない。着続けられるという目的のために、一切妥協しません。
無駄な動画視聴は、デスクトップパソコンを手放してからやめました。というのも、デスクトップパソコンは充電切れなど無いが、ノートパソコンなら充電切れがある。無理やりにでも充電が切れて動画視聴を続けることができない。
これによって出来た時間は本当に大きい。私はテレビを持っていないが、テレビと同じくらいだらだらと動画を観てしまうことが多く、その時間は気が付くと2時間はあっという間に経っている。
今では、この時間をブログ執筆や読書、勉強に充てるようになりました。充電という制約を自ら課すことで、やらない事に変えました。
最後は大掛かりな掃除。かつての汚部屋では掃除は一回一回が大がかりだった。机をずらし、座椅子をずらし、座布団をずらし、カーペットを片付ける。そして出てきた床を掃き、拭く。こうなると、一か月に一度どころではない。1年に1回でもやったかどうか…そのくらいになってしまていた。
しかし今は、そんな大がかりな掃除は必要ない。なにせ、普通に掃除するだけで隅々まで掃除できるから。滅多に動かさず汚れが溜まる場所…という場所がない。結果、大がかりな掃除を行うための時間は不要になりました。
『捨てる』ではなく『手放す』に変わる
考え方の一つだが、捨てるということばを使うことが減った。手放すという感覚になってきていた。
何が違うのかと言えば、捨てるというのは、無用であり不要なモノに対しての見方です。しかし、手放すとは有用ではあるが不要であるモノという見方。
これは、ただ単純にもったいないから捨てるんじゃなく中古で売ろう、とは違う。その考え方が影響するのは、買うとき。
捨てるなら、ただゴミ袋に詰めて終わりだ。けれど、手放すならゴミ袋に入れる以外に、中古ショップ等に売りに行くこともある。手放すというのは、思いのほか労力の掛かります。
そうなると、いざ購入するとき、「これを手放すときにはどうしたらいいだろうか?」と手放し方を考えるようになった。そうなると、手放すのに手間がかかりそうなものは、その労力を上回るだけの必要性を感じないと購入しなくなりました。
手放すのが面倒だから買わない、という考え方で絶対に買わないと思っているのは座椅子。座椅子は1年も経てばクッションがへたって使い物にならなくなる。
しかし、サイズが大きいから粗大ごみには出せず、直接収集センターに持ち込む必要がある。その手間が嫌だから、座椅子は絶対に買わないと決めています。
ストイックになる
ストイックというとよく聞くが、では実際言葉の意味は何かというと、『禁欲的』という意味だ。つまり、欲に流された行動を取ることが減ってきた。
なんとなくほしいもの・便利そうなものがあったとき、以前までならただカゴに突っ込んでいた。しかし今は、一旦それで商品を手に取っても、必要か不要かという現実的な理由がちゃんとあるのか、考えるようになった。
こうなるとどうなるかというと、その場で購入することは無くなった。そして、後日それが確実に必要という場面になったときに、初めて買いに行く、ということになった。必要な場面が来ていないなら、その場では買わないのだ。
必要そうではなく、必要だから買う。なので、かなり無駄なものを買うことは減りました。
『モノ』ではなく『理想』が生活の優先
これはどういうことかというと、生活をモノによってではなく、理想を優先して作っていくようになった。
例えば、これまでベッド生活だったのを布団生活に切り替えたい!と思っても、既にあるベッドがまだ使えるからもったいなくて切り替えられない…ということだったり。
つまり、たとえ理想があっても既にあるモノがその理想と違う場合、そのモノをもったいないと思ってしまうことでモノを優先してしまい、理想を諦めることになっていました。
しかし、ミニマリストになって本当に重要なのは、モノではなく理想であることに気付いた。モノに囚われて理想を失っていた。
今のぼくは生活に理想を持っています。その理想のために、不要なものは手放すようになった。優先すべきはモノではなく、理想。それに気づくことができました。
まとめ
以上、私がミニマリストになってから実感した変化です。
最初はただモノを減らすという行動だけだったのが、これだけ考え方を変えていくことになるとは思いませんでした。行動によって思考が変わっていったのです。
ミニマリストはただモノを捨てる人のことではありません。モノを減らすという行為から、思考を変えるということに繋げられる、とても有益な行為です。
部屋に荷物が多くて…と悩む人は、それを手放すことによって自分を変えていくチャンスでもある。そのチャンスをものにし、新たな人生を歩んでみてはいかがだろうか。
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