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[人生]どうして散歩が『趣味』になるのか?~趣味とは何なのか~

雑記

ぼくの趣味は散歩です。

しかし、振り返ってみますと実は最初から趣味として散歩を始めたわけではありません。面白そうだからとか、やりがいがあるとか、そんな理由からではない。

趣味ではなかった散歩が、いつの間にか趣味になっていた。それにふと疑問を感じました。

そこで今回は、散歩が趣味になるまでの経緯を振り返り、散歩が趣味になった理由と、そもそも趣味とは何なのかということを考察していきます。

これから何か趣味を始めようと思っている方に、散歩を趣味とはどういうことなのかが分かる記事になっています。

まずは、ぼくの散歩経緯を紹介していきます。

散歩が趣味になるまで

ぼくが散歩を始めたのは、10年以上前です。

始めた理由は運動不足でした。本当はジョギングを始めようとしていたのですが、ジョギングに乗り気になれず、「まぁ散歩でも運動不足解消にはなるか」と消極的な理由から。

なので今のように毎日散歩していたわけではありません。月に2~3回、30分前後歩く程度でした。この時点では全然趣味という感覚ではありません。

運動不足解消を目的に始めた散歩。それが一気に頻度が増えたのは5年前です。ミニマリストになり、ブロガーを始め、今住んでいるアパートに住み始めてから。

それから、散歩に「アイデアを思いつくため」という理由が追加されました。ブログの記事ネタですね。何の記事を書くか、そのネタを考える行為として散歩を積極的に行うようになりました。毎週休日には欠かさず散歩するようになります。

その2年後。会社を退職し、専業ブロガーとして活動し始めます。在宅ワークとなって時間の余裕ができ、本格的なブログ活動を行うため、よりアイデアが欲しい。

そのため、散歩が毎日になります。

それから3年が経過した現在。散歩は趣味になっていました。ただこの3年の間で散歩が運動不足解消などの手段から趣味に変化した瞬間は、はっきりとしていません。

毎日の散歩の中でいつの間にかブログの記事ネタを考えることが無くなり、散歩することそれ自体が目的となっていました。そのついでに記事ネタやミニマリズムを考えるように。

手段だったはずの散歩が、目的に変わる。趣味にしたいと意識することなく、いつの間にか趣味になっていた。

ぼくにとって趣味の散歩とは、上記の経緯を経たものです。

散歩中って何してるの?

そもそも散歩って何してるの?と疑問に感じる方に、実際に散歩中の状況を解説します。

散歩中のぼくの状況は↓の通りです。

  • 足を動かしてる
  • ミニマリズムについて考えてる
  • 目の前を飛ぶ鳥を目で追ってる
  • 草花や木々の変化で季節を感じてる
  • ブログネタについて考えてる
  • 人生について考えてる
  • やりたいことを考えてる
  • たまに飛び出してくる蛇や蜂にビビる

ただし、これらのことは全てやろうとしてやってはいません。散歩中のぼくは何も考えようとしていない。ただ流れてくる思考に身を任せ、ただ足を動かしているだけ。歩いていることすら忘れています。

思考は不思議なもので、考えようとしなくても勝手に考え始めます。それに抗うようなことはせず、考えたいだけ考えることにしています。たまにその思考の中で使えそうなアイデアがあれば、メモ帳に書く。

はっきり言えば、本当にただ歩いているだけ。足が疲れてきたことだけに気付いて帰る。それが散歩です。

何も考えずに、淡々と歩くだけ。この状態がぼくに心地よさをくれるんです。

散歩が趣味でなくなるとき

散歩は趣味であり、それ自体が楽しいものです。

ですが、同じ散歩でもその散歩が苦痛となることもありました。その苦痛こそが、趣味とは何なのかを考える上でとても重要なことです。

過去、散歩を苦痛と感じた瞬間がいくつかあります。

  1. ウェアラブルカメラで自分の散歩風景を撮影、動画投稿しようとしたとき
  2. 散歩アプリでポイント稼ぎをしたとき

この2つを苦痛と感じた理由は、散歩が手段になってしまったからです。

①は散歩することは手段であり、目的は動画投稿。
②も散歩は手段であり、目的はポイント稼ぎ。

いずれも始めた当初は、撮影もアプリも散歩のついでのはずでした。しかし続ける中で、だんだんとそちらが目的に成り代わり、散歩が手段になってしまった。そうなってくると「散歩に行きたくない」と感じるようになってしまいました。

趣味とはそれ自体が目的

つまり、趣味となるものはその行為自体が目的であること。手段であるうちには、それに没頭したり楽しむということにならず、趣味にならないということだと考えました。

散歩をする行為には様々なメリットがあります。しかし、今のぼくはそれらのメリットをほぼ意識していません。散歩それ自体が目的だから。

ただ、散歩したいから散歩している。猛暑で日傘を差してでも、雨が降ろうとも、雪が降り積もろうとも散歩する。

登山家の方が、なぜ山に登るのかと聞かれて「そこに山があるから」と答えるように。ぼくもまた、なぜ散歩するのかと聞かれたら「散歩したいから」としか答えられない。

今でこそ登山家の方も、最初から「そこに山があるから」ではなかったと思います。体力づくりや、山から見下ろす景色が見たい。山に登るのはその手段に過ぎなかった。それがいつの間にか、山に登ることが目的に変ったのだと思います。

手段が目的化したもの。それが趣味というものなのでしょう。

最初から趣味を意識しなくてもいい

ぼくが散歩を始めたきっかけは、運動不足解消からでした。

それがいつの間にか趣味に変わったことを考えますと、最初から趣味にしようと考える必要はないのだと思います。

むしろ逆効果になってしまうかもしれません。趣味として始めるのですから、楽しめることだと思って始めます。しかし、最初から楽しめるものなどまずありません。楽しめないと感じるから、すぐにやめてしまいます。

大抵のことは最初は苦痛なものです。それを何度も目的のために繰り返す中で徐々にコツや楽しみ方を覚え、楽しいと感じて趣味になる。

趣味を始めようと思ってもなかなか趣味にならず挫折してしまう人が多いのも、そういうことだと思います。

何かに没頭する自分というのは、そう簡単に作れるものではない。なのに、没頭する趣味を作りたいという思いばかりが先行し、没頭できないことに焦りを感じる。これでは趣味どころではありませんね。

趣味は作るものではなく『成るもの』

そう考えると、趣味は作るものではないと言えます。いつの間にか成るもの。自分の意思で作れるものではない。

始めたきっかけは何でもいい。むしろ、趣味にしたいという思いが無いほうがいい。

ただ、何か目的があり、そのための手段として始めた。しかし続けるうちに手段そのものが楽しみとなり、趣味へと変わっていった。

振り返って初めて、「ああ、これは趣味だな」と気付くものなのでしょう。

そうしますと、「趣味を作ろう」とか「趣味を持った方がいいんじゃないか」という言葉は全く意味がないと言えます。

趣味ができるのに必要なのは目的

ここまでの内容を振り返りますと、手段が目的化したのが趣味ですから、趣味ができるには目的が必要です。

目的があり、その目的達成のために手段が必要。その手段が目的化して趣味になるのですから、最初に目的がなくてはなりません。

筋トレが趣味だという人は、最初から筋トレが趣味だったわけではない。最初は体を引き締めたい、筋肉を付けたいといった目的から始まり、いつの間にか筋トレ自体が目的になっている。

なので、趣味が無いということは目的も持っていないということ。日常や人生における目的が無いと、当然手段も行っていないから、趣味に変わりようがない。

趣味を持ちたい!と考える人がまず始めることは、自分はどう在りたいか・どう生きたいかという目的作りから。それが趣味を持つことのスタートラインです。

目的をどうやって作ったらいいか分からない…と言う方には↓の記事がオススメです。メインは30代独身男性向けですが、基本的な考え方はどんな人にも通じる内容になっています。

最後に

散歩が趣味になるということ、趣味とは何なのかについて考察してきました。

趣味を作りたいと考えている方の参考になれば幸いです。

趣味は作るものではないといいましたが、やはり趣味がある人生はいいものです。そのためにも、まずは趣味の前に人生の目的を作ることをオススメします。

それではまた。

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