昨日、メインブログを更新し、記事を上げた。
この記事を書いて思ったことは、考えずに欲で突っ走るのはただの無駄でしかないということ。
記事の内容にしても、この中で上げた無駄なことは実はほとんど覚えていなかった。Amazonの購入履歴をさかのぼったり、家計簿を見返してやっと思い出したものばかり。
覚えていないということは、何も学びが無かったということ。これは非常にまずいことだと感じた。
記事で無駄にお金を使ったものを挙げ、
- なぜそれを買ったのか
- なぜそれを捨てた(やめた)のか
ということを深掘りしたかったのだが、全然できなかった。
何も考えずに買い、何も考えずに捨てたから考察のしようがなかった。
これでは次に活かすための学びになどできるはずもない。
今回更新した記事は、自分の中でははっきり言って赤点レベルだと思っている。全くもって浅い記事だ。
ただつくづく実感したのは、考えなしに買うことの恐ろしさだ。
- 買ったことを忘れている
- 捨てたことを忘れている
- お金を使ったことを忘れている
- 何も学んでいない⇒繰り返す恐れがある
如何に、自分にとってそれは必要なのか?を問いかけることの重要性を再認識した。どうしてそれを買うのか、そのサービスを受けるのか。そのスタート地点が考え無しだと、捨てるときや辞めるときも考え無しになる。
買う理由が浅ければ、捨てる理由も浅いものにしかならない。これでは何も学べない。
今回の記事を書く作業を通して、どうすると無駄になるのかを改めて見つめ直すことができた。
今は昔ほど無駄になったものは減らすことはできている。しかし、ゼロではない。
買ったけど、合わなかった・使いにくいということで捨てることはある。だけど、学ぶことはできる。学ぶことができたものは、無駄ではない。
学ぶことすらしなかったものを、本当の意味で無駄と呼ぶのだと思う。
まだまだミニマリストとしての道は果てしない。
それではまた。
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