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湯たんぽのお湯節水は節約にならない だがそれでいい

コト

昨今騒がしい環境問題。

二酸化炭素、汚染物質、環境破壊など様々な問題が取り上げられ、その問題の大きさから個人ではどうにもならないと無気力感となり、結局何もしないという結果になってしまう人もいる。

確かに環境問題に対し、個人のアクションはほとんど影響をもたらさない。

しかし、だからといって何もしない…というのは、実にもったいないことだと思う。

先日から、電気を使わない加湿器を使い始めた。

この加湿器に使う水は、前日の湯たんぽに使った冷めたお湯を使っている。

節水のためだ。

ではこの節水効果はどれほどのものか、少し計算してみた。

湯たんぽに使うお湯の量は800ミリリットル。
1か月を30日とすれば、その量は24リットル。

24リットル節水したとして、では節約効果はあるかというと、実はない。

水道料金は0.1㎥単位だ。

0.1㎥=100リットルである。

節水して節約効果を出したければ、月100リットル減らさなければ効果は無い。

つまり、24リットルぽっちの節水は、1円の節約にもならない。
これが現実だ。

こう考えてしまえば、環境問題とは個人ではどうにもならないとなり、無気力感となる。

だけど、考え方を変えることで無気力感を充実感に変えることができる。

マクロ視点からミクロ視点に変えることだ。

マクロ視点:全体的、抽象的な視点

ミクロ視点:部分的、具体的な視点

引用元:マクロ視点とミクロ視点とは?わかりやすく解説

今回の内容で言えば、環境問題はマクロ視点、湯たんぽのお湯を節水に使ったのはミクロ視点だ。

そしてカギとなるのは、自分がコントロールできるかどうかだ。

マクロ視点である環境問題は自分でコントロール不可能。
しかし、ミクロ視点である節水行為は自分でコントロール可能な範囲だ。

コントロール不可能な視点で物事を見ると、自分には何もできていないと無気力感を味わう。

だが、自分でコントロールできているという実感を持てば、充実感を味わうことができる。

つまり、今回の内容で言えばマクロ視点はあえてもたず、ミクロ視点だけで物事を見る。

自分は毎日800ミリリットルの水を節水しているのだという、コントロールしている実感を持つことで充実感が生まれる。

実際に環境問題に影響を及ぼせるかどうか、は考えない。

自分ができていることにしっかりと意識を向けること。それが大事であると思う。

それによって、自分の人生には価値があるのだという実感を持つことができる。

子どもがコップに水を汲んで飲んだ。

でも、飲み切れなくてコップにはほんの少し水が残った。

その水を捨てず、鉢植えの花にあげた。

その水の量は30ミリリットルあるかどうか。

その行為には何の意味もないだろうか。

そんなことはない。

どんなに少なかろうと、捨てずに有効活用することができた。

その自信は、子どもにとってとても大きな成長になるだろう。

現代人は、頭がよくなりすぎた。

誰もかれもがマクロな視点を持ってしまった。

自分がやっていることが何なのか、見えなくなってしまった。
だから、人生に希望を持てない。
そのように思う。

かといって、ミクロ視点だけでいいというわけではない。

マクロ視点とミクロ視点、そのバランスが大事だと思う。

それではまた。

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