最近、酒粕を捨てた。
捨てたと言ってもキエーロ行きだけれども。
前々から酒粕のニオイがなんとなく苦手な感じがした。それでも、酒粕は栄養満点だからと我慢して食べてきた。
しかし先日、具なしの粕汁を作ったときにもう無理だと感じた。
いくら栄養があっても、
まだ食べられるものだとしても、
我慢してストレス抱えてたのでは意味がない。
というわけで捨てることにした。
酒粕だけでなく、酒精を入れない味噌の発酵したニオイもだめなので、麹の発酵臭がダメなんだと思う。
食べ物…というか、まだ食べられるものを捨てることには罪悪感がある。それもあって無理して食べてきたわけだが、もう限界。
かといっていつまでも保存して、見つけるたびに嫌な思いをして、いよいよ傷んでダメになってから捨てるというのは、なにか違う。
そう考えると、食べ物も物と同じように、「まだ」という段階であえて捨てることに意義があるのではと思う。
まだ使えるけど、使っていない物を捨てる。
まだ食べられるけど、食べない物は捨てる。
食べ物については特にもったいないと強く感じやすい。だからこそ捨てづらいし、我慢してしまう。それを、自分のために捨てる。そこに意義があると思う。
ただゴミのように捨てては意味がない。
捨てたくないという気持ちを抱えつつ、それでも捨てる。だから「次どうするか」と考える学びになる。
物だけがミニマリストに課せられる試練ではない。食べ物も試練の一つなんじゃないかと思う。
まだ食べられるものを、自分を優先して捨てるということ。食べ物よりも自分を優先する。何が大事なのか見極め、それを選択する勇気。
傷んでゴミになることを待つのは、食べ物に対する最大の無礼だと思う。
使わない物を、劣化してゴミになるまで放置することのように。
ゴミになってから捨てるのではなく、ゴミになる前に捨てるという決断。
それができるようになるのも、ミニマリストとしての成長の一つかと思う。
それではまた。
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